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2016年4月20日の便り



今日は僕の36回目の誕生日だ。そんな生誕の日にまさかハローワークで過ごすとは夢にも思わなかったが、どっこいこれが現実だ。まぁ、なかなか自分らしくて良いじゃないか。5年前には自分が二児の父親になっていることさえも予想だにしなかった。それでも石は転がり続けていくのだ、おしゃぶりの石は。史苑は何となく僕の現状を察しているような節があるが、彼特有のユーモアで日々、笑いのトッピングを添えてくれる。朝は「ぼく保育園がんばってくるから、おっとーもはやく帰って来てね」と颯爽と出かけ、帰ってくるとハローワークを会社になぞらえて「おっとー、お仕事がんばってきたの?おつかれさん」と言ってくれる。そんなこどもたちに自分は何ができるのかと問われれば「何もできない」というのが模範解答なのかもしれないけれど、とにかく僕は自分の本当にやりたいことで徹底的に苦労をしなければならないのだ。そしてそれは何よりも幸せなことなんだと知る必要がある。もはや創造すること以外に興味はない。作家の保坂和志さんの言うように「金勘定なんて、それくらいしかやることがない連中に任せておけば良い」ってな感じだ。ただ何をするにもある程度のお金は必要だからね。だから家族が喰うためだけの仕事を見つけるまでだ。いつにも増して目的は明確である。昨年、90年も生きたじいちゃんが言うてたじゃないか。「生きてれば良いことがある」ってね。そんな訳でハローワークから戻ると、新しい短編「挟み撃ち」を一気に20枚まで書いた。誕生日の20日だから何とか20枚は書きたかったのだ。先日書き終えたばかりの「OFF-WHITE」(服飾ミーハーに人気のヴァージル・アブローとは関係ないよ)と同じく、ひとつのエリアに対する定点観測的な物語なんだけれど、語り口調はガラッと変えた。物語の舞台はとある病院、そこで清掃業務に従事する男と毛虫との熾烈な戦い、来る日も来る日も中庭で水槽を眺める患者の世界捕獲作戦、そして自己同一性を放棄し遂には液状化する女優をあくまでも中空から観察する。そしてタイトルの示す「挟み撃ち」(後藤明生さんの名作と同タイトルだけど内容はまったく関係ありません)とは…、ってな感じ。実は妻から誕生日プレゼントにもらった中井久夫さんの名著『家族の深淵』に、かつて氏が設計に参与された病棟の平面図が封入されていて、その図がとても魅力的だったので、仮にここに登場人物を置いてみたらどうなるだろうってところから物語の着想を得たのだ。言うなれば僕自身が中井久夫医師の病棟を彷徨うクランケになってみようと考えてみた次第。あとは完全に妄想。病院の実情なんて知らんもん。何となく中編にしたいくらいに気に入っているんだけど、いまは「コバルト」を射抜くための弾丸をこさえることを自らに課しているので、30枚以内で着地させよう。ここ最近はずっと一人称(と言うか移人称)で書くことが多かったんだけど、ここ2作はどちらもたまたま三人称。別に意識している訳ではないが、自然とそういう書き出しになった。つーか、移人称は古くから普遍的なもので、岡田利規さんに端を発しているという評論家の言説はいまいち信用ならない(笑)。ところで、熊本地震をキッカケに亡命家族となった作家の坂口恭平さんのリュックの中にはメルヴィル「白鯨」文庫本上下巻、そしてゼーバルト「目眩し」が入っていて、坂口さんは「もうこれだけでいいや」と思ったそうな。いまの僕なら何をリュックに詰め込むだろう。不測の事態でとりあえず3冊となれば、上記の3作品で決まり。「もうこれだけでいいや」と思わせてくれるには、永遠に読み返せて、永遠に新たな発見があって、永遠に読み終えることができないものが良いに決まっている。そういう意味でもこれらは完璧。余裕があってあと2冊に手を伸ばすことが叶ったら、サミュエル・ベケット「マロウンは死ぬ」とヘンリー・ミラー「マルーシの巨像」を放り込むかな。とにかく今日は誕生日、年齢をひとつ重ねた訳だ。妻と史苑がバースデー・ソングを歌ってくれた。巴音がとびっきりの笑顔を贈ってくれた。美味しいケーキも食べた。家族や友人が祝いの言葉をくれた。他に何がいるというのか。そう、それは仕事だよ(笑)。さて、明日は面接だ。頑張ろう。

本日の一枚。GEORGE DALARAS & NIKOS PLATYRACHOS / TA ASTEGA
platirarhos-dalaras-2016.jpg

誕生日に無職の僕が「ホームレス」というタイトルの萎びたラグタイム・ピアノの音色に耳を傾ける。あまりに生々しいやないかい。ハローワークで入手した紹介状を片手に場末のBARに飛び込んだら、そこではラグタイムとレベーティカがまさかの邂逅を遂げていた…。そしてそれら2つの前世紀の変り目の音楽は聴衆の予想を遥かに超えた相性の良さを見せつけてくれたのだ。アッパーな音楽は時に有難迷惑なこともあるんだけど、この鄙びてよれよれの哀愁歌謡に関しては、心地良い酩酊を促してくれる。ドンピシャのタイミングで、ドンピシャのコラボが実現。ヨルゴス・ダラーラスとニコス・プラティコスには心から感謝したい。「Θα το κάψω ή θα καώ 」を、どうぞ。
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未分類 | コメント(2) | トラックバック(0) | 2016/04/20 23:09
コメント
No title
面接お疲れさまでした。

>自分の本当にやりたいことで徹底的に苦労をしなければならないのだ。そしてそれは何よりも幸せなことなんだと知る必要がある。

同感です。私は今それを噛み締めています。


>家族が喰うためだけの仕事を見つけるまでだ。

私は「家族」の部分が「自分」に置き換わっています。その分あなたに比べると心身共に負担は少ないと言えるでしょう。それに使える手持ちのカード(キャッシュと違いますよ)をフルスロットルに使っている分、傍目にはお気楽極楽生活に見えるはず(笑)
でもいいんです。自分が戦った結果得たんだと思う事にしました。誰がなんと言おうとね。
死ぬまでこんな生活が出来ない事は想像がつくので、カードの使用期限が来るまで使おうと思ってます。


ところで、そろそろ仕事辞めた後に書きしたためているあなたの世界、読ませてくれません?
ブログで書いた書いた言われても、読んでないこちらとしては信用できません(笑)
No title
ちーずさん

誰が何と言おうと、自分の人生は自分で納得できなければ、何の為に生まれてきたのか分からないからね。社会人から社会を取ったら人になるんやけど、人生という単語に社会は付いて来ないでしょ。どこまでいっても人の生の問題であって、社会は従属物でしかない。それを然も関係があるように見せかけるのが政治であり、教育だと思っているから。社会貢献とか胡散臭すぎて反吐が出そうになるよ。そういう人間に限って木下古栗やイーライ・ロスの作る作品を「下品だ!」の一言で切り捨てるんだよね(笑)。とにかく世間体とか気にするのはクソだから!そうそう、僕の「以降の作品」については、もう少し待ってな。信じられん知れんけど、どんどん書いているよ。なんとか「コバルト」を射抜きたい!いまは短編を書くことが面白くてたまらないっす!

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